2024年3月の情報です。ラオス・ルアンパバーンでパスポートを紛失し、帰国するまでの記録です。
ラオスへの入国経路
タイのバンコクから鉄道でラオスに入りました。鉄道のチケットの取り方はこちら↓

まだビエンチャン駅まで鉄道が伸びていなかったので、ノーンカーイにて下車、ノーンカーイからタイの国境までは1.5km、歩いても20分くらいです。
国境に着いたら出国手続きをして、そこからラオスの国境までバスに乗ります。バスのチケットを買い、友好橋(Friendship Bridge)を渡ってラオスの国境へ到着です。
ラオスへ入国したけれど、ここからどのバスに乗ればビエンチャンに行けるのか?探しまくってやっと見つけたのがこのバス
お土産物屋の前のバス停から出るバスです。無事乗り込み、ビエンチャンまでGo!
ビエンチャンからバンビエンへ
今回は10日間の旅行です。すでにタイで2泊、鉄道で1泊しています。この後は、ビエンチャンで1泊、バンビエンで2泊、ルアンパバーンに2泊して帰りはハノイ経由の夜便1泊、合計10泊の予定です。
ビエンチャンからバンビエンへはミニバスを選択しました。ビエンチャンの街中へ出ると、ミニバスの予約ができるお店がいっぱい並んでいます。朝、宿泊ホテルまでピックアップしてくれます。
バンビエンからルアンパバーンへ
バンビエンからルアンパバーンへは、ラオス中国鉄道で行くことにしました。この鉄道は、搭乗する数日前からでないと予約ができないので、宿泊しているホテルの方に予約をお願いしました。
予約が済むとQRコードが送られてきて、それがチケット替わりです。
でも正直なところ、ラオス中国鉄道はもういいかなという感じです。2人旅でしたが、席はバラバラ。しかも3人がけの椅子が向かい合っているので、知り合いなら楽しいかもしれないけれど、知らない人ばかりだと、なんだかみんな気まずそう。
相方は、周りみんな家族の中にポツンで、居心地悪かった・・って言っていました。
ルアンパバーンの駅から街中までは結構距離があるので、乗合バスに乗りました。駅を降りると手配する人からむちゃくちゃ声をかけられます。
ルアンパバーンは世界遺産になっている街。街並みも綺麗だし、治安もいいそうです。レンタルバイクを借りてあちこち観光しました。因みにですが、国際免許を持って行ったけど、タイもラオスも全て、パスポートだけでバイクを借りることができました。国際免許見せてって言われたことは一度もなかったです。
ヘルメットも任意みたい。ビエンチャンではみんなかぶっていたけれど。
ビエンチャンでは、観光客を狙ってバイクを止める警察官もいるらしいです。因縁つけて捕まて、少額を払えって言ってくるそう。ジュース代くらいらしいので、文句言わず素直に払ったほうがいいからと、バイクを貸してくれた人が言っていました。
パスポートが無いことに気づく
さて最終日、今日の夕方便でハノイを経由して、帰国します。のんびり荷物を片付けていたら、「あれ?俺のパスポート知らない?」って相方。
前の日にバイクを借りて、夕方バイクを返した時にパスポートも返却してもらい、その後ナイトマーケットからの食事をしてホテルに戻りました。
その間にパスポートを出すことも無かったし、バックの内側に入れていたし、落とすのも考えられない。でも混雑していた所も通ってないし、盗まれるはずもない。
でもとにかく探しても無い!無い!無い!
フロントへでパスポートが落ちていなかったか聞いたけど、もちろん無い。
ならばと警察しかない!警察の場所を聞きました。
それから日本大使館へ電話、日本語が話せる人はいますか?と英語で尋ねたら、大丈夫ですよと電話口に出た方が日本語で答えてくれました。ちょっと安心。でもこれからお昼休みに入るので、午後1時半に再度電話してくださいとのこと。
ホテルをチェックアウトし、とりあえず現地の警察(観光警察)へ行くことにしました。
現地の観光警察へ
観光警察は街中にあり、これから昼休みなので、午後2時にもう一度来て!とのこと
カフェで時間を潰し、午後1時半を過ぎたので日本大使館へ再度電話をしました。
私のスマホはahamo。相方は現地のSIMを入れていましたが、なぜか現地SIMは電話ができない。通話可能のSIMを買ったのに。
しかも私のスマホも電波が悪くて「もしもし、先ほど電話し・・」くらいで切れてしまうこと10数回。屋内にいるせいなのかと外からかけてみたり、場所を変えてみたりして、やっと繋がりました。
電話だと切れてしまうので、メールでやりとりしましょうと言われました。日本へ帰国するために、日本大使館から指示されたミッションは5つ!
- ルアンパバーンの現地警察で「紛失届」(ポリスレポート)を出してもらう
- それを持ってルアンパバーンの入国管理局へ行き、「紛失・盗難証明書」(プライマリーポリスレポート)を発行してもらう
- 日本大使館では「紛失一般旅券等届出書」の届出、「帰国のための渡航書」を申請
申請のために①日本の戸籍謄本又は抄本(写しでも可)、②警察又は入管発効の旅券紛失を証明する書類、③パスポート申請用顔写真2枚、④航空券の予約表、⑤手数料が必要 - 「帰国のための渡航書」と「出国のための手続き書」(プライマリーポリスレポート)を持ってビエンチャンにある入管事務所本部へ行き、出国のための手続きをする
- 入管事務所本部で作成してもらった書類を持って外務省へ行き、出国許可VISAをもらう
とりあえず現地の警察署に行き、「紛失届」(ポリスレポート)を取らなくては!午後2時を過ぎたので、観光警察へGO!
1. ルアンパバーンの現地警察で「紛失届」(ポリスレポート)を出してもらう
ルアンパバーンの警察官は20〜30代くらいの若い人たちが多く、英語も堪能、制服もパリッと着こなしていて、ちょっと怖い感じがしましたが、とてもフレンドリーでした。
でもね、建物の階段は斜めになっているし、靴を脱いでみんなスリッパかサンダル。そのギャップが不思議。トイレだって、こんな感じ。入ったはいいけど、紙はどこに捨てるんだろう・・・
丁寧に話を聞いてくれましたが、「本当に無くしたのか、それとも虚偽の話ではないか?」と疑っている感じもありありです。
- いつ、どこで無くしたのか
- ラオスに入国したのはいつか
- 入国経路は
- 無くしたパスポートの情報を教えて
- 無くした時の状況を詳しく説明して
書類にこれらの情報を記入し(もちろん英語)、スマホの翻訳ソフトを駆使しながら約1時間ほど会話をしました。無くしたパスポートはコピーを持参していたので、間違いなく記入することができました。入国経路や日にちも、私のパスポートを見せて、間違いないことを確認。
「ポリスレポートを発行してしまうと、古いパスポートが使えなくなってしまう。見つかる可能性もあるので、2日間ほど滞在してみた方がいい」と言われ、延泊が決定。
搭乗する予定だったベトナム航空もキャンセルしなくては、ベトナム航空へ直接連絡しましたが上手くつながらず、発券したスカイチケットへchatで連絡、無事キャンセルすることができました。ルアンパバーンーハノイ便は搭乗2時間を切ってしまったので、返金できないとのこと。ハノイー羽田便は払い戻しができるかもと言われました。忘れた頃に返金されてたよ。
ルアンパバーンの入国管理局へ
2日経った日の朝、地元警察へ行ました。前回の記録を見ながら再度同じことを聞かれました。
レンタルバイク屋さんからパスポートを受け取った後、バッグに閉まったと答えたけど、バイク屋さんのおばちゃんが「ポケットに入れていましたよ」と証言したそう。え?そうだったっけ?いや違います、絶対バッグに入れたはず・・と軽く押し問答。やっぱり裏を取るんだなぁ。
ここでポリスレポートを作成してしまうと、万が一パスポートが見つかっても古いパスポートは無効になりますよ、いいですねと再確認され、わかりましたと返答。数分待った後ポリスレポートを作成してもらいました。
「ルアンパバーンでパスポートを失くす人がなぜか多いんですよ」とニコニコの警察官。え?そうなの?じゃあ、盗難されたなのかなぁ・・・。
それを持ってこれからルアンパバーンの入国管理局へ行き、出国のための手続き書(プライマリーポリスレポート)を作成してもらいます。
2. ルアンパバーンの入国管理局へ行き、「紛失・盗難証明書」(プライマリーポリスレポート)を発行してもらう
観光警察の人に入国管理局の場所を教えてもらい、流しのトゥクトゥクを捕まえて、入国管理局へ。なぜかトゥクトゥクの人に全く違う場所へ連れて行かれたけど、再度説明して無事到着。
入国管理局の人も30代くらいで、むちゃくちゃ体鍛えてそうな感じ。でも足元はサンダルでした。ここでも
- いつ、どこで無くしたのか
- ラオスに入国したのはいつか
- 入国経路は
- 無くしたパスポートの情報を教えて
- 無くした時の状況を詳しく説明して
と同じことを聞かれ、じゃあ書類を作成するから写真2枚だして。
えっ聞いてないから持ってないよ・・仕方ないので、街中へ一旦戻り、証明写真を撮ってくれるお店で写真を作成。ついでにパスポート用の写真も作成し、午後になってからもう一度入国管理局へ。
入国管理局はとっても立派な建物なのに、私たちがいた間に来た人はたった3人ほど。のんびりした雰囲気です。
入国管理局で待つこと一時間ちょっと。その場でプライマリーポリスレポートを発行してもらうことができました。
この日は金曜日。しかももう午後。
日本大使館で手続きするためには、いろいろな書類が必要です。
- 日本の戸籍謄本又は抄本(写しでも可)
- 警察又は入管発効の旅券紛失を証明する書類
- パスポート申請用顔写真2枚
- 航空券の予約表
- 手数料
ここで一番頭を悩ましたのが、「日本の戸籍謄本又は抄本」です。相方の身内はみんな遠方で、東京には誰も住んでいません。これって委任状があれば友達でも取得できるんだろうか?
日本のサイトから委任状をダウンロードして、それをメールで知り合いに送り申請してもらうしかないよね。でも戸籍謄本を日本からラオスに送ってもらうと、すごく時間かかるし受け取る場所とか、一体どうすれば・・・
悩み抜きましたが、なんと!ラッキーなことに日本の規約が変わり、数週間前から血族親族だったら住所のある所でなくとも謄本(抄本)が取れることになったそうです。本当にラッキー!!!
しかも日本大使館に提出するのは、原本ではなくスクショでオッケーとのこと。
早速遠方にいる息子に連絡、すぐ役所へ行ってくれて金曜日中に無事にスクショをLINEで送ってもらい、それを日本大使館へメールで送ることができました。
書類も揃ってきたので、帰国が見えてきたよ。土日の間にルアンパバーンから首都ビエンチャンまで移動しよう!
移動手段としては、国内線、鉄道、バスといろいろあるけれど、パスポートが無いため国内線と鉄道は使えない。でも行きのミニバスもパスポートを見せろって言われたし、どうやって移動すればいいんだろう・・・「皆さんなんとかしてビエンチャンまでいらしてますよ」と日本大使館の人が言っていました。
とりあえず私のパスポートがあるから交渉しようと、街中で乗り合いバスを手配。でも、パスポート見せろって言われなかったよ、良かった。朝8時にホテルにピックアップしてくれるそうです。
ビエンチャンへ移動
途中運転手&バスの乗り換えがあったり、運転手が夫婦で、隣に座っている妻らしき人がバクバクと飲み食いしていたりと、行きのミニバスはバックパッカーのみだったけど帰りのバスはなんだか雰囲気が違って怪しげ。「荷物大丈夫かな」と少し気を使いました。
しかも荷物だけを運んだり途中で人を拾ったり、バスもなんだかデコトラちっくで全くセンスがない。6時間位で着くよと言われていたのにもう8時間も乗っている。少しいらいら。
無事ビエンチャンへ着いたけど、街中ではなく街から距離のあるエアポート付近。そこでバイタクを拾って宿まで行きました。大きなリュックを足元に置き、慣れた感じのバイタクのお兄さん、ありがとう。
3. 日本大使館で「紛失一般旅券等届出書」の届出、「帰国のための渡航書」を申請
日本大使館に行くための書類は以下のとおり。
- 日本の戸籍謄本又は抄本(写しでも可)
- 警察又は入管発効の旅券紛失を証明する書類
- パスポート申請用顔写真2枚
- 航空券の予約表
- 手数料
あと必要なのは航空券の予約表だけです。
日本大使館で発行してもらう「帰国のための渡航書」は、一回限り、一方通行のパスポート。ラオスに在住していたり、時間に余裕がある人だったら、「帰国のための渡航書」ではなく通常のパスポートの再発行がおすすめです。
今回は「帰国のための渡航書」での帰国になるため、他の国に降りることはできません。ラオスー日本は直行便が無いためどこかでトランジットが必要なのですが、空港の外に出ることなく帰国しなくてはなりません。
「バンコク」か「ハノイ」をおすすめします、「帰国のための渡航書」はその日のうちに作成しますが、それから出国のための手続きとVISAの取得に時間がかかるので、3日後くらいのチケットを取ってください、と日本大使館。
う〜ん、便が無い・・・あってもかなり高い(驚)。キャンセルした航空券は2人で8万円強だったのに、2人で24万円くらいと、約3倍です。でも背に腹は変えられないし、ラオスに入国してすでに10日経っているので、私のVISAが危ない・・。
仕方ないので、高いチケットを購入。これで全書類が揃いました。
日本大使館で申請
日本大使館は、ホテルから歩いて行くには少し遠いため、自転車をレンタルしました。オフロードタイプの自転車なので、凸凹道も楽に行けます。
あらかじめ、月曜日の午前中に伺いますとメールは入れていましたが、なぜか入口でストップと言われました。大使が出かけているとのこと。いやいや、大使に会う必要はないのに・・と問答してると、たまたま居合わせたNGOの方が話をして下さり、無事に入館することができました。
入り口でスマホを預かるって言われるかもですが、警備員の人によって違うんですよねと、NGOの人。
もちろん撮影するつもりはないけれど、パスポートを無くした際に聞かれる5項目
- いつ、どこで無くしたのか
- ラオスに入国したのはいつか
- 入国経路は
- 無くしたパスポートの情報を教えて
- 無くした時の状況を詳しく説明して
これを日本語と英訳と2パターン、スマホに保存していたので無いと不便です。でもスマホを置いていけとは言われませんでした、良かった。
中は広くて綺麗な、鉄筋コンクリあるあるの、ひんやりとした図書館みたいな博物館みたいな雰囲気。もちろん冷房もバッチリ効いていて、とても涼しいです。日本語の表記があちこちにあって、でも異国の香りが少ししました。
そこで書類に記入、提出して30分〜40分くらい待ったでしょうか。無事書類を受け取りました。帰れるのかなぁと不安だった気持ちが一気に吹き飛び、かなりホッとしたそうです。
帰国のための渡航書は、3つ折り版パスポートといった感じで、中はパスポートそのもの。固くて模様の入った紙でできていて、なんだか格好いい。ハノイ経由で帰国するよと記載されています。
これを持って、移動します。
ビエンチャンの入国管理局本部へ
午前中に行かないと、昼休みになっちゃう〜!!と焦り気味に日本大使館を出たその足で、入国管理局本部へ向かいました。入国管理局本部は最近移転したらしく、これもまた街中からは少し距離があります。レンタル自転車では行かれる距離。
街中を抜け、国道並の広い道から、舗装していないガタボコ道の先に入国管理局本部はありました。
ここも移転したばかりで、とても広くて綺麗。
ラオスの街中には中国と手を取り合っている壁画があったり、ラオス鉄道には中国ありがとう的な雰囲気が無茶苦茶ありましたが、この建物は「韓国の協力により設立されました」との文字が。
そうなんだ。
4. 「帰国のための渡航書」と「紛失・盗難証明書」(プライマリーポリスレポート)を持ってビエンチャンにある入管事務所本部へ行き、出国のための手続きをする
ビエンチャンの入国管理局で作成してもらった「紛失・盗難証明書」(プライマリーポリスレポート)と、日本大使館で作った「帰国のための渡航書」を提出、窓口は若い女性です。
スマホの翻訳ソフトを使い、ここでも毎回聞かれた
- いつ、どこで無くしたのか
- ラオスに入国したのはいつか
- 入国経路は
- 無くしたパスポートの情報を教えて
- 無くした時の状況を詳しく説明して
について書類に記入し、提出しました。
明日書類ができます、いつ取りにきますか?と聞かれ、明日の朝来ますと返答。もう帰国する予定だった日から5日が経過しています。飼ってる熱帯魚、大丈夫かなぁ。
ビエンチャンの外務省へ
次の日は電動バイクをレンタルし、入国管理局本部へ行きました。行くと書類は出来上がっていて、さくっと終わりました。
書類は「この書類を持っている人に、帰国用のVISAを発給してください」という内容でした。
今日はこれを持って外務省へ。出国用のVISAをもらいます。
5. 入管事務所本部で作成してもらった書類を持って外務省へ行き、出国許可VISAをもらう
外務省は街中のハズレでしたが、入国管理本部や日本大使館より街からは近いところにありました。でも入国管理局や入国管理本部がとても綺麗なビルだったのに、街の公民館みたいな雰囲気。病院の待合室みたいに人が溢れていて、待合室は全て屋外。
職員は冷房が効いていて涼しいかもしれないけど、待っている人は汗だくです。
え〜この人混みで待っていたら、数時間かかりそう・・・
ちょっと焦りましたが、VISAを発給してくれる窓口は別のところにありました。待っている人も1人だけ、良かった。
次の日にはVISAができますと、誰かから聞いていました。書類を渡したら受理されて終わり。
「あの〜、明日来ればいいですか?」
「1週間後には出来てると思うので、その頃来てください」
「えっ、今なんて?」
「1週間後」
「えっえええ〜!!!もう帰りの航空券も取っているんです。しかも私のVISAも切れてしまいます」と猛抗議。こんなに必死だったのは、今回初めて。
「あ、そうなの?航空券見せて。仕方ないわね、じゃあ明後日に取りに来て、特別よ」としぶしぶのおばさま。
ラオスの人たちってみんな親切だったのに、外務省のおばさまはまさかの塩対応。
その明後日の夜の便で帰る予定。本当に大丈夫かなとまたまた不安感が押し寄せます。
でも信じるしかないと、残りのビエンチャンディを満喫して、2日後に外務省へ。
帰国
心配は杞憂に終わり、2日後の午前中にVISAを出してもらえました。これで今日の夜便で帰国できます。
ハノイでトランジットして、ベトナム航空で帰ります。航空会社の窓口に出すと、両隣の窓口の人も集まってきて珍しそうに見ています。「パスポート失くしちゃったんですか、大変でしたね」と声をかけてくれました。
イミグレの人もパスポートをみて、ニマニマしています。失くしたなって思ったのかな。
ハノイー成田便に搭乗してからビックリ。エコノミーではなく、プレミアムエコノミーでした。だから高かったんだ!いつもは無いモニターも付いているし、映画もたくさんある!席も広めでゆったり。でも残念、夜中の便だったので、爆睡して終わりました。
成田に到着!パスポートを読み込ませ、ゲートから出ようとしたら、赤いランプが光って職員の人が飛んできました。「帰国のための渡航書」では、自動のゲートでは出られないみたい。
結局、帰国予定日からプラス8日かかりました。飼っていた熱帯魚が心配だったけど、みんな何事もなかったかのように泳いでいて、ホッとしました。
同じ内容をYouTubeにも上げています。よかったら見てね。